母親への反発から「○○」を決めた話

今回は、「親に認められなかった子どもは、悪くあろうとする」を実体験していたのでそれを書こうと思います。

 

「ぜったいきちんとなんかしない」

私がそうであったと突然思い出し、驚いたこと・・・それは

「ぜったいきちんとなんかしない」と子供の時私が決意していたこと。

 

そんな風に見えないよ?

思い出したきっかけは、「そんな風に見えないよ。信じられない」と言われることが増えたこと。

何が見えないかというと、「私はだらしなくて、ルーズで、きちんとしている」の真逆の人間だということ。

そういうと、関わる人がそんな風に見えない、と言ってくれるんです。

自分ではそう思っているし、実際そうだし、人を見る目無いな、とかうまくごまかせてるのかな、とか思ってました。

でも一度、なんでだろう?と考えてみたら、突然出てきたのがこれ。

「ぜったいきちんとなんかしない!」

これをさかのぼると・・・

大きかった母の存在

母は自分の手柄にしたい

私の母は、私を自分の思い通りに動かしたい人で、私が言うとおりにならないと怒って責め続ける人でした。

周囲に対して自慢したかったのか、とにかく「他人より優秀であること」を要求されました(運動はどうでもよかったみたいですが)。

そのうえ、元の欲求が「自分の思い通りに動くこと」なので、とんでもないものもたくさんあるんですが、中にはまともなしつけも入っていたと思います。

 

「きちんとしなさい」

それが、「きちんとしなさい」でした。

整理整頓する
開けた扉は最後まで閉める
朝は決まった時間に起きて、夜は決まった時間に寝る
遅刻しない
宿題をちゃんとする
家の手伝いをする
妹の面倒を見る、等々

いわゆる生活スタイル全般を指してのことですね。

でも、私がその通りにすると、

「ほら、やっぱり私(母親)の言うことを聞いたらうまくいったやろ?」
「あんたがうまくいってるのは、私のおかげやな」
「あんたのがんばりなんかどうでもええねん。私の言うことが正しいからや」
「あんたは私に感謝しなあかんよなあ」

そんな風にくりかえし言って「私のおかげ」「私のおかげ」と感謝を要求するんです。

 

「きちんとなんかしてやらない」

当時の私は、それが嫌で嫌でたまらなかったのでしょう。

「お母さんの思い通りになんかならない」
「きちんとなんかしてやらない」

そう思ったことを、はっきりと言葉にして思ったことを、突然思い出したんです。
もちろん、口に出して言ってはいません。

子供で、全部に反発できなかった私が、反発できるところとして選んだのが「きちんとしない」だったのです。

 

自分で選んだ人生だった

その決意は実行されました。

私は

ルーズでだらしなく、
やるべきことを後回しにし、
遅刻魔で、
整理整頓ができず、
家事ができない、

そんな人間になりました。

自分で決めて、そんな人生にしたはずなのに、その想いは忘れ去られてしまって
大人になってからもずいぶん苦労しました。

でもそれは、「自分で決めて自分で選んだ人生」だったんです。

 

気づけば再出発できる

自分で選んだ人生だったと気づけば、もう一度選び直すことができます。

私はホントは、きちんとしたかったのかもしれない。
きちんとして、今より気持ちよく生きたかったのかもしれない。

そう思ったら、胸にあった重たいものがストンと無くなったように、気持ちが軽くなりました。

この年になっても、「きちんとしたい」を思うことは母親の言いなりになっているようで、嫌だったんですね。
自分でも驚いているポイントです。

今の年齢を考えれば、やり直しはなかなか進まないかもしれません。
でも、いつでも今が一番若いのだし、いつでも再出発はできる。

だから、今度は母のためにではなく、自分のために「きちんとする」人生をやり直したいと思っています。
もちろん、できる範囲の小さな一歩ずつで。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

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