私がシングルになった本当の理由はインナーチャイルドだった
私が離婚したのはインナーチャイルドが理由だった
実は私は、バツイチです。離婚歴があります。
世間的には「性格の不一致」による離婚になるのでしょうが、私が感じていた理由はちょっと違っていました。
結論を言えばそれは、「夫が母と同じだったから」!
ここは、インナーチャイルドの理論にも関わってくるので、少し私の子ども時代を振り返ってみたいと思います。
子どもは親を愛している
母にとって私は、良く言えば自分の果たせなかった夢を託す相手、ストレートに言えば自分の思い通りに動かす奴隷でした。
母の思うとおりに感じ、動かなければ罵倒されました。
ほめられることなど一度もなく、「なんでこれができないんだ」と怒られ続けました。
お金を稼ぐようになるまでは成績絶対、操り人形のように私を動かし、
お金を稼ぐようになったら「お前のお金は当然私のものだろう」と言ってお金を要求されました。
そんな母でも、私はなんとか認められたくて、ほめてもらいたくて、頑張り続けていたのです。
ここが、インナーチャイルドのポイント①です。
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子どもはどんな仕打ちを受けても、親に愛してもらいたい、認めてもらいたいと
自分を殺して頑張るものだということ
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母から逃げてもダメだった
でもさすがに辛くて、そんな母の束縛から逃げたくて私は結婚しました。
家を出たいけど母とモメて家を出る勇気はなく、結婚が家を出る一番まともな理由だと思ったからです。
だから元夫には悪いけど、相手は誰でもよかった。
母から自由になれればそれでよかったんです。
そうしてやっとの思いで手に入れた自由だったはずなのに、私はすぐにつまづきました。
夫は母と同類の人間だったんです。
夫もまた、私をほめることも認めることもなく、足りないことできないことばかりを責め続ける人でした。
「こんなことも知らないで、あんたホントに薬剤師?」
「普通はこうするだろ?そんなこともできないの?」
今で言う『モラハラ夫』ですね。
私は、母親と結婚してしまったんだと思いました。
それでも私は大事な娘がいて、だからそんな夫とも添い遂げたくて、我慢し続けました。
でも・・・・
娘が中1の時、とうとう我慢できなくなって娘を連れて家を出ました。
それから生活のため、娘を育てるため、必死で働きました。
そんな中でも
「なぜこんなことになってしまったんだろう?」
「なぜ母と同じタイプと、わざわざ結婚してしまったんだろう?」
と何度考えてもわかりませんでした。
なぜ親と同じタイプを選んでしまったのか
でも、インナーチャイルドを学んだ今ならわかります。
ここがインナーチャイルドのポイント②です。
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私は母に叶えてもらえなかった想いを
夫に叶えてもらおうとしていたこと
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私のインナーチャイルドは
「私がもっともっと頑張れないから、お母さんは愛してくれなかったんだ」
「だから、今度はもっと頑張れば、彼がお母さんの代わりにきっと私を愛してくれる」
そう考えて、わざわざ母と同じものを持っている人を夫に選んだのです。
子どもの頃に完成できなかったことを、もう一度やり直すために。
これは、傷ついたインナーチャイルドを抱えている人には、良くあるパターンです。
でも、夫は親ではありません。いくら求めても、親の代わりにはならない。うまくいくはずはないのです。
「あの時これを知っていれば」と思うと、今でも娘に申し訳なく、後悔することはたくさんあります。
「私がもっと頑張れていれば」
「私がもっと我慢できていれば」
「いや、そもそも私がもっとできた人間だったら」
傷ついたインナーチャイルドを抱えた人は、すべて自分の責任・自分がおかしいと思って、自分を責めてしまいます。
仮にその通りに努力し続けたとしても、決して状況が変わることはありません。
夫は母親の代わりではなく、過去は完結しないのです。
インナーチャイルドを学んだ私の変化
私はインナーチャイルドを学んで、自分を知ったから、「あの時の自分にはあれが精いっぱいだったのだ」と自分を責めるのを止めました。
そうしたら、夫に対する気持ちも変わっていきました。
彼もまた私にとって、大切な人だったのだと思えるようになりました。
だから、彼が先日突然亡くなった時、泣いて泣いて、これ以上泣けなくなるまで泣きました。
亡くなってしまったら、もう取り戻すことはできません。
その分これからを、大事に生きていくしかない、悔いなく生きていこうと思います。
あなたはどうですか?
私の物語の中に、心当たりはありませんか?
もし何か響くものがあるのなら、後で悔いても間に合いません。
今何か、行動を起こしましょう。
子どもの頃、母親に酷い虐待をされました。親戚の集まりでは公開処刑のように土間で1人で餌を食べさせられ私が馬鹿だと話ました。親が認めるから父親も兄も親戚も従姉妹も、私を馬鹿にしていじめました。母が亡くなって14年後、肺癌ステージ4、余命一年です。それでも生きるためにインナーチャイルドを癒したいです。セラピーを受けました。
涙が出て、悲しみをいっぱい受け止めた肺に頑張った子どもの頃の私を抱きしめ言葉をかけました。
古市様、コメントありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。
大変なご経験をなさったのですね。想像するだけで、胸が痛くなります。
また、肺がんも他人事と思えず、涙が出ます。今は体調いかがでしょうか?
たくさんたくさん頑張ったみゆきちゃんをほめてあげて下さい。そしてもちろん、ここまでがんばった美由紀さんご自身も。。。。
また、ぜひコメントください。待っています。